妖精って・・・

 最初に妖精を見たのはいつですか?と聞かれると、「ずっといたような気がする・・・。」としか答えられません。最初、っていうのはなく、はじめから妖精と一緒にいたような気がします。

 私は赤ん坊の時、ずっと壁をみてニコニコしている赤ちゃんだったそうです。母親は何度も振り返ったそうですが、いつもなにもいなかった、と。母は普通の人なので「なんでこの子は壁を見て笑うんだろう。」と不思議だったそうです。

 

 私は一人遊びが大好きな子供でした。子供だけれど、子供は嫌いでした。子供は乱暴で意地悪で、すぐにいじめに走ります。たまたま私のまわりだけがそうだったのかもしれませんが、仲良くしたいような子供はほとんどいませんでした。

 でも、家の裏に仲良しの女の子がいて、その子とだけは遊んでいました。その子が引っ越しするとき、大泣きに泣いたのを覚えています。その子が引っ越ししてから、長く、友達というものはできませんでした。意地悪な子と一緒にいるくらいなら、ひとりのほうがよっぽどよかったです。それに、私はひとりではありませんでした。

 

 いつも妖精や、見えない存在たちと一緒に遊んでいた気がします。だけど、どう思い返しても「ほかの人には見えないんだ、ほかの人にはわかってもらえないんだ」という悲しみを感じた記憶はありません。それよりも、妖精が大好きなあまり、人間にはあまり何も期待していなかった、というのが正しい気がします。本当に変わった子供でした。

 

 思春期に入り、ふつうに友達もできて、友達の間では「霊感のある子」で受け入れられていました。少女のグループでは、霊感があってもそれで否定されるようなことはありません。思い返せば、私の友達は、絵を描く子、歌を歌う子、小説や詩を書く子、ダンスを踊る子、と、芸術的なことに興味を持つ子がほとんどでした。私自身も芸術全般はすべて好きでした。

 だけど、普通の母親に育てられたおかげか、芸術で生きていくとか、霊感で生きていくとか、まるで考えたことはありませんでした。占星術とタロット占いが好きで、よく友達を占っていましたが、それを職業にするつもりはまるでなかったです。占い師という職業にものすごく偏見を持っていて、「普通の仕事ができない人がする下賤な職業」のように思っていました。

 

 固い仕事について、真面目に仕事をしたと思います。なにしろNP(心理学用語)は高いので、社会性という意味ではそんなに問題ないと思います。ところが、真剣に仕事をするあまり、問題が発生しました。これ以上学ぶことがなくなって、先が見えてしまい、仕事に飽きたんです。私は真剣に悩みましたが、当時は理解されず「じゃぁ結婚したらいいじゃない。」という意見しかもらえませんでした。なぜ仕事にあきたら結婚という話になるのか私には理解できませんでした。仕事は仕事、結婚は結婚でしょう?と思っていました。

 

 自分ひとりで考えた結果、副業で占い師をはじめました。占い師としてやっていけるかどうかは、リピーター(2回目に来てくれる人)がつくかどうかにかかっていますが、私は最初のお客さんからリピーターになってくれました。あのお客さんのことは今でも覚えています。私より少し年上の温和な感じの女性でした。

 最初は占星術にタロットを使用して占っていましたが、そのうちに「あれ?私って、別に、占星術もタロットも必要ない気がする・・・。」と思い、使用せずに質問に答えても問題なかったので「霊感占い」に変更しました。

 

 占い館とか占い会社とかに所属しなくても、私個人のお客さんがつくようになったので、独立して鑑定するようになりました。そこまでいっても、まだ職業はかけもちでした。誰の試算か知りませんが、占い師として独立するには顧客が400人必要だそうです。私は200人まで増えており、これ以上増やすには専業にするしかないところまでいっていましたが、どうしても専業にはできなかったです。その理由はうまく説明できません。

 

 そうやって、掛け持ちで仕事をしているうちに、スピリチュアルに興味のある友人もたくさんできました。その中に私と気が合い、私の好きな絵を描く友達がいて、彼女に私が見た妖精を描いてもらうことになりました。それがこのHPに掲載されている妖精の絵です。当初は「やまとの妖精カード」として、オラクルカードで発売する予定でしたが、この計画、まったく進んでおりません。絵の枚数も増えていませんし、私もほかのことで忙しい人生を送っていました。

 なにしろ、そこからまた、鑑定と一切手を切って、看護学校へ入るというまさかの展開があるわけです。子供の頃に「看護師さんっていいな」と思ったことはありますが、まさかその夢を残りの人生で実現するとは夢にも思っていませんでした。自分のことはまったくわからないものです。ブログにも書いていますが、シーソーゲームをやっているような人生になっています。

 

 去年、縁があって「トランスフォーメーションゲーム」というスピリチュアルゲームに参加しました。ゲームの進行とも、私がたてた目的ともまったく関係なく、なぜかずっと「妖精の絵をHPで発表しよう!」というイメージを繰り返し見ていました。ディーバからのメッセージだったのかもしれません。私にとって一番大事なのが妖精とのかかわりなのかもしれないです。

 

 今まではHP作成時、ホームページビルダーかフロントページエディターを使用し、FTPを使用してアップする、という操作をしていたのですが、「時代も進行してるのに、もっと簡単なツールはないのかな?」と思い、このJIMDOというシステムに到着いたしました。今までホームページビルダーやフロントページエディターを使用していた私には、この簡単さが理解できず、なかなか進まずに今に至りましたが、ようやく公開できるところまでこぎつけました。

 

 私が見る妖精たちは羽がありません。西洋の妖精たちは羽がありますが、日本の妖精は羽がないようです。天使には羽がありますが天女には羽がないのと同じ理屈と思っています。

 同じように神仏に仕えながら、天使は羽があり、天女に羽がない理由は、西洋人と東洋人の思考の違いからきています。西洋人には「空を飛ぶのに羽は必要だ!」と思い、東洋人は「別に羽がなくても飛べるんじゃ?」と思います。見えない世界の住人たちも、姿を現すときは、人間の思考過程を通過してくるのでそうなるようです。

 なので、日本で見たとしてもバラやチューリップの妖精は羽を持っていると思います。思います、としか言えないのは見たことないからで、お花屋さんなんかで妖精を見たことはありません。妖精を見るには人里離れた山奥に行くことが必要で、バラやチューリップが自然に生えていることがないため、見たことがないです。

 中国風の恰好をしている妖精が結構いて、調べてみるとやはり中国原産だったりします。日本の草花って、ほんとうに中国から来てること多いんだなぁと感心します。妖精も生まれた国を愛するんでしょうか。

 

 このHPをきっかけに、また妖精と関われたらいいなと思っています。次に妖精と出会う日が楽しみです